熾火(おきび)



石井 幸志


渓で迎える朝は何時でも、誰に言われるでもなく、まずは自然と焚火の傍へと向かう。漆黒の渓の闇を煌煌と照らして燃え盛った焚火は、煙を立てるでもなく、白い灰となっているばかりだ。周りに残った太い燃えかけの薪が、どこかもの寂しげに見える。
だが、そんな白い灰を少し除けて、掻き回し、優しく吐息を吹きかけてやると、大抵はほのかに赤い熾火が現れる。そこへ細枝を纏めてそっと載せ、徐々に枝を加えてやれば、保たれた熱の効果故、焚火を始める時よりもずっと早く、燃え盛る炎へと甦る。何時も唯、その秘めたる力に感心させられる。
先の総会で、久々に見る顔があった。M子さんである。近年入会した人達にはわからないが、かつては年間30本もの沢を登り、すっかり沢の虜になっていた人である。
子供ができて早一年余り、子育てに一番手のかかる時期であり、仕事もしているM子さんでは、今はとても沢の事など考えている余裕など無く、総会にも来られないだろうと思っていた。総会に来ない、委任状も出さない会員も居る中で、彼女が総会に出席した事は非常に嬉しかった。総会に出て仲間達と出会い、雰囲気だけでも味わいたいという心意気がひしひしと感じられ、日頃節操無くだらだらと沢を登っている自分が恥ずかしく思えた。
細い薪だけでできた熾火は、朝には灰が残るだけであり、いくら吐息をかけても火は起こせない。逆に、長い時間太い薪を燃やして造られる芯のある熾火は、朝まで熱を秘め、薪を加えれば容易に甦る。暇つぶしに何となく沢をやってきた人間では、ブランクがあるとなかなか容易に旧のようにはなれない。片やある期間、情熱を傾けて渓を登ってきた人であれば、環境が整った時、渓を登ってきた仲間と共に、易しい渓から徐々に勘を戻していけば、必ずや渓三昧の日々が戻ってくるであろうと信ずる。
かつては「恐山党党首」などと呼ばれ、渓から遠ざかっていたKさんも、再び燃え盛る炎のように完全復活している。良き先例に続き、今は密かに熾火を保っていて欲しいと思う。
熾火を絶やす事のないように、我々ができる事は、周りで太い薪を高々と炎を上げて燃やし、熱を逃さぬようにする事である。情熱を持って活動し、それを何気なく伝えながら、その時がきたらそっと薪を加えてあげたい。