交通事情今昔


手嶋 亨

 1997年10月1日は山へ向かう交通事情が様々変化しました。何と言っても碓氷峠をエッチラオッチラ登る信越線が横川〜軽井沢間で廃止になったこと。やはりこれには一抹の寂しさを感ずるのを禁じ得ません。

 私の山の原点は信濃でした。中央線もそうでしたが、信越線も信濃へ向かう重要な足でした・・・、というよりもこれらの線は旅そのものだったような気がします。

まだ奥多摩や奥秩父くらいしか歩いておらず、信濃の山はいつも遠くから眺めるあこがれの対象だった、でもそれにしてはすでに山座同定に関してはほとんどの大人にも負けないくらいになっていたあの高校1年生の冬、新宿から中央線で小淵沢に行き、そこから小海線で途中下車をしながら小諸へ、そして当時まだ今でいうブルートレインだった急行「白山」で上野に戻る日帰りの小さな「1人旅」をした時のことが忘れられません。

信越線で上野をたち、信州の高原風景に触れるのを心待ちにしながら越えた碓氷峠。最後のトンネルを抜けると突如としてそこには軽井沢の高原が広がる、あのドラマティックな変化と感動・・。もう久しくこの感動を味わっていませんが、これが世の中から消えるとなると、自分の山の原点が一つ消えてしまったような寂しさを覚えます。

しかし一方で嬉しいニュースもあります。念願の盤越道の全線開通がなったこと。

これは我々にとって大きなできごとです。五頭や飯豊、あるいはその前衛の山々を目指すには非常な時間短縮になりました。特に千葉方面のメンバーは、関越道を使うことの多かったこれまでに比べ、大幅な時間短縮になります。それこそ安達太良あたりへ行く気楽さで、五頭の沢の日帰りさえもする気になるかも・・・。

まあ、こんなことも時代の流れですかね。昨日の様々なニュースを見て少々感傷的になった私の独り言でした。


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