TOP>
会員山行録>
2006年>
人を寄せ付けぬヤブとは?
飯豊連峰/滝川赤石沢やごう沢(沢登り)
古野
【日時】2006年7月8日(土)〜 9日(日)
【メンバー】佐貫(L)、鈴木、棚橋、高山、古野
まだ山菜山行の余韻で穏やかな東北の沢、というもくろみが越後族にハイジャックされ飯豊の沢へ。もっとも地蔵岳北部の滝川流域は以前から気にはなっていたので緊張しながら楽しみもあった。記録を見ると尾根を下る道は廃道で人を寄せ付けぬヤブ、という表現もあり、当初は黒松沢下降の計画だった。
梅雨の中ではあるが何とか天気は持ちそうだ、と楽観的に道の駅いいでを出発。横川ダム(滝川下流)の広大な工事現場を横目に見て急に狭くなる道を辿ると山の奥まで人家がぽつぽつと点在している。その背後に飯豊を象徴するスラブの山肌が見える。やはりここは飯豊なんだな、と改めて実感する。林道終点には釣り師らしき車が、ちょっと不安になる。
踏み跡は黒松沢に沿って進み、鉄板の橋となって尾根に続いている。結構立派な登山道だ。橋から本流に出て溯行開始。先頭を歩いていたら後ろから誰も来ない。実は右岸に踏み跡があり赤石沢出合まで続いていた。みんなと再会して赤石沢にはいる。しばらくはゴーロが続くがやがて沢床に赤い石が現れ、ちょっと幅が狭くなる。赤石沢の名前の由縁だろう。水が多く、渡渉でも結構濡れる。滝ノ沢の先で下ってくる釣り師に出会った。上流は雪が詰まっているという。尾根の廃道のことを聞くと山形国体の時に開かれた道だという。何年前かなぁ、かなり前では?ということになりちょっと不安に。上流がモヤって来た。雪渓のお出ましである。思ったより早い。しばらくは断続的に雪渓に対応することになる。途中で水が急に濁ってきた。雪渓の崩壊だろう。雪渓は何とか登れるものが多いが高巻きも強いられる。
途中の滝には釣り師が垂らした腐った細引きがあり心配しながらも一人目は使わせてもらう。雪渓が切れた後に10mくらいの真っ直ぐなトロかある。腰まで水につかって冷たい。その先はしばらく平凡になり、時間も読めてきたので竿を出す。鈴木さんに大物が来た。自分にもそこそこの恵みが。
のんびりしすぎたな、と先を急ぐとまたしても雪渓の大物が、高くて上り下りが厳しそうなので様子を見てくぐることにする。まあ何度やってもイヤなものだ。
ホッとしたところに魚止めの滝。高巻きかな、と思ったが左のルンゼが登れそうだったので取り付いて滝の落ち口に出た。次の4mを右から巻くとやごう沢が出会う。急に開けた感じになる。テン場を探すがなかなか良い物件が無く、結局戻って少しばかりの河原がある所をテン場にする。
立派なたき火の側に座る瞬間はやはり良いものだ。鈴木シェフ特製のイワナ飯はなかなかの絶品であった。
ここに泊まるということは沢の雪渓の様子、時間からも黒松沢下降は無く、かのヤブ尾根を「怖いもの見たさ」で下ることになる。早めに出発をして登りにかかる。だらだらとした登りで安心感はあるがその割に疲れるものだ。水が切れる前後ではバテ気味だった。
稜線まではヤブはひどくない。ブナの木には戦争中と思われる切り込み文字があった。
踏み跡はないもののそんなにひどい藪ではない。とはいうものの周りが見にくく、なかなか中間目標の1153mピークにたどり着かない。地図の割には長く感じた。久々の藪のルートファインディングは緊張感があって楽しく、さっきの疲れを忘れた。
1153mから北西に進路をとって進むが南の尾根を勘違いして戻りそうになった。広い尾根から狭い尾根に入るのはいつも難しいものだ。でもすぐに踏み跡を見つけた。そこからは結局、踏み跡が消えることなく続いたのであった。まあ十分登山道といって良い程度である。記録との違和感を感じた。もっとも全部ヤブだったら12時前には下山できなかったであろうし、平地に出る直前に降り出した結構強い雨に苦しめられていたであろう。
こじんまりしたルートの割には滝、雪渓、藪とバラエティーに富んでいた。でも飯豊が初めてだという高山さん、ホントの飯豊はこんなものじゃないよ・・・。
【行程】
7/8 車置き場(8:40)〜赤石沢出合
(9:10/25)〜やごう沢出合(15:43)
〜テン場(16:20)
7/9 テン場(5:40)〜稜線(7:40/8:00)
〜1153mP(8:58/9:10)〜車置き場(11:50)
【地形図】岩倉、飯豊山