TOP会員山行録2006年

夏への扉 木曾はすべて水の中

中央アルプス/伊奈川水系・越百川(沢登り)

佐藤(耕)

【日時】    2006年7月15日(土)〜16日(日)
【メンバー】  L田邉(一)・高柳・田辺(利)・栗原・大田原・佐藤(耕)

 中央道を伊那インターで降り、国道361号線の長い権兵衛トンネルを抜けると木曾であった。夜の底が白くなった。「木曾路はすべて山の中」である。木曾十一宿はこの街道に添うて、二十二里余に亙る長い渓谷の間に散在する。
 木曽路に、八王子から3時間を経ずして至れるとは驚きだった。上信越道の利用で、海谷山塊が福島同様1泊2日圏になったように、権兵衛トンネルのおかげでもって、木曾もこれからは近くていい山となり、名古屋ACCホームグラウンドも近く感じられる。
 山の尾をめぐる谷の入り口のひとつ、伊奈川ダムの駐車場に1台をデポし、もう1台で越百川林道まで下る。この間は相当の距離があるので、2台を配置しないと入下山に半日以上を費やすかもしれぬ。車2台分のパーティーだったことが、結果的には有利に働いた。土砂崩れの工事もあって、車は林道ゲート手前にデポする。
 堰堤付近から入渓。巨岩帯を進むと、下部ゴルジュに入ったか、明るい淵が続く。大きな釜を抱いた8mの滝は右岸ルンゼから巻く。その先は花崗岩の白い淵をザバザバと楽しむ。海の日の3連休、梅雨前線は北上とのことで南西に求めた沢だったが、初日午前中の木曾は晴れて泳ぎ日和となった。 木曾川対岸の柿其川もそうだったが、沢底に差し込んできた陽の光に透明で深い緑をたたえ、岩の白さをきわだたせている。
 泳いで取り付かなくてはならない、屈曲した淵の先の6mの滝には、流木がかかる。このところ登攀力著しい栗原がとっつくが、あえなくダウン。次に田邉が、流木を背にずり上がった。栗原の名誉のために言っておけば、田邉のアクアステルスソールの岩壁への効果はある。
 後続は空身で続く。この滝の上には左岸から本流かと思えるほどの滝が落ち、下部部ゴルジュはまだまだ続いている。夏への扉。「木曽路はすべて水の中」である。
 ハング状の6mは右岸に乗って進み、さらにその奥、淵の先の盲腸状8mは、淵を泳いで取り付いて水流の中を攀じる。
 淵に使って滝を登ってという展開が3〜4回続いたろうか、みんなどっぷり浸かりながら、水線通しを楽しんだ。
 13時を回った頃だろうか、地形図にはない取水用堰堤が現れた。かなりの量が取水されているらしく、その堰堤の上は大きな滝や胸まで浸かるほどの淵があるわけではないのだが、水量・水流の強さに気を抜けないほどの、白く泡立った中の渡渉の連続となった。
 そんなゴルジュ帯を脱しての渓相は、白い大河の殿堂の様相をも感じさせてくれる。  やがて左岸から下南沢を合流させる16時頃には、周辺は広河原状のゴーロ帯となった。これから上部のゴルジュを抜け、奥南沢出合付近にビバーク地を求める計画だったが、ここで一転にわかに暗くなる。どうしようかと案じて上部のゴルジュに入った矢先に仏、左岸にしつらえたような舞台が出現した。踏み固めたように平らで高さもあって、これなら増水にも耐えられよう。大きな木樹が雨をもさえぎってくれる。ようやく荷を降ろすことができた。
 夜半にツェルトを打つ雨音は、明け方により強くなった。雨もだが、稜線まで1000mという高度差も不安ではある。降ったりやんだりの中、水かさの増した中を遡る。上流域に入ってはいるものの、水量と冷たさでこの日が沢はじめだった田辺(利)さんのペースが心配だ。
 とはいえ6時から遡行して早や5時間、高度をあげ、ついには源頭部の詰めに至る。予想はしていたが、急斜面と崩壊した花崗岩のシロザレで足元が危うい。落石のリスクを抑えながら慎重に詰め、最後は潅木の尾根に逃げて、ようやく登山道に出ることができた。
 帰りの駄賃に越百山を踏もうと、5分ほど登った山頂で出迎えてくれたのは激しい雨、中アの展望どころではない。ほうほうの体で越百小屋まで下った。有人小屋があるとは驚きだったが、隣に建つ避難小屋で雨をしのぐことにする。「木曽路はすべて雨の中」。この後一週間に渡って、この地方が大水害に沈むとは想像だにできなかった。

【行程】
7/15 越百川林道ゲート(8:50)〜下部ゴルジュ〜取水用堰堤(13:15)〜下南沢出合(16:25)
   〜上部ゴルジュ入口付近BP(16:45)
7/16 BP(6:00)〜中南沢出合(6:40)〜登山道(11:47)〜越百山山頂(11:54)〜越百非難小屋(12:30)
   〜ケサ沢林道〜伊那川ダム
【地図】木曽須原・南木曽岳・安平路山・空木岳
【グレード】渡沢3級